次の百年の『本物』を目指して

古くは百年も前の鞄が修理に帰ってきます。その時代の素材や技術を学び、現在のものと比較し新しい技術を加え新商品を開発する。百年間こうした作業を繰り返し、鞄と向き合ってきました。技術に完成はなく、職人とともにこの繰り返しを次の百年も続けていく企業をめざします。

会社概要

代表取締役 植村賢仁

マスミ鞄囊の会社案内をご覧いただけます。

会社名 マスミ鞄囊(ほうのう)株式会社
代表者 取締役 植村賢仁
所在地 〒668-0046
兵庫県豊岡市立野町5番1号
TEL:0796-22-2505(代)
FAX:0796-22-1094
創業年月 大正5年(1916年)
設立年月 昭和42年7月
資本金 2,500万円
営業品目 皮革製品全般、合皮、PVC製品全般 アルミケース、アルミトランク ディスプレーケース
加入団体 日本鞄協会 兵庫県鞄工業組合

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豊岡とマスミの歴史

豊岡の鞄産業と共に技術を磨いたマスミ鞄囊(ほうのう)の歩み

漆塗りの行李鞄

明治という大きな時代変化の渦中、人々の運搬・移動に「鞄」が求められる時代となった。1881(明治14)年に行李鞄が考案されてから次々と進化した行李鞄が開発される。その中、革付属品を作っていたメーカーが「新型鞄」として鍵前の付いた漆塗りの行李鞄を創作した。豊岡が鞄として売り出した最初のものと言われている。

創業者 植村賢輔

その「新型鞄」を創作した奥田平治の片腕として尽力したのが植村賢輔である。賢輔は鞄生産の未来に自信を持ち、まもなく皮革製品に着目した豊岡で初の【箱型鞄】製造を始めた。これがマスミ鞄囊の始まりである。

1950年代は新素材・新技術の幕開けとなった。スマートケースに続き、海外渡航用鞄としてラインテックスの製造依頼が急増した。諸官庁や大学、企業などの海外渡航が増えたからだ。

初期のオリジナルカタログ/東京オリンピック聖火ケースと海外渡航用鞄のラインテックス/50年前のパンフレット

1960年代からは「マスミライン」というオリジナルデザインの海外渡航鞄も販売を始め、ツアーコンダクターや海外出張者に広く愛用された。海外への輸出も盛んになり当時のパンフレットは英語表記となっている。国内外からも特殊用途の鞄製造の依頼は絶え間なくあり、社内の鞄職人の腕を磨きあげている。

1881(明治14)年
柳行李が『行李鞄』へと商品化される
1916(大正5)年
植村賢輔(初代)が創業
鞄製造に着手
1928(昭和3)年
新素材ファイバーの鞄が商品化される
1936(昭和11)年のベルリンオリンピックへ向かう選手団の鞄として豊岡のファイバー鞄が採用されるほど、主流生産される
1953(昭和28)年
新素材塩化ビニールレザーが出現、軽量化に拍車がかかる
『スマートケース』が考案され、昭和29年映画「君の名は」で出演された岸恵子さんがスマートケースの火付け役となり大流行
1956(昭和31)年〜
軽くて強靭な鞄の開発が豊岡で始まり『オープンケース』が誕生
ピアノ線で周囲を補強し、当時希少だったファスナーでの開閉ができた。他商品を圧倒する反響となりアメリカにも大量に輸出された
1957(昭和32)年
植村美千男(2代目)が、V字カットによるベニヤの直曲げを開発
V字カットで飛躍的にアタッシュの生産量を伸ばし、鞄の枠の主流はブリキからベニヤ板に変わっていった
1964(昭和39)年
3通りの厚みに調整できる『エレガントケース』が商品化
通勤及び旅行鞄として使え、爆発的に売れた。日本鞄4大産地として豊岡は地位確立
1964(昭和39)年
東京オリンピック開催
聖火を運ぶケースの製作をマスミ鞄囊に託される
1967(昭和42)年
マスミ鞄囊株式会社を設立
1971(昭和46)年
植村美千男(2代目)代表取締役に就任
1984(昭和59)年
皇太子様(現天皇陛下)へ御外遊用船ダンスをマスミ鞄囊がお作りする
1993(平成5)年
寛仁親王殿下へシルクハットケースをマスミ鞄囊がお作りする
1994(平成6)年
兵庫県豊岡市にて豊岡・世界かばん博’94開催
1999(平成11)年
マスミ鞄囊の鞄が【グッドデザインひょうご】受賞
2000(平成12)年
植村賢仁(3代目)代表取締役に就任
2006(平成18)年
地域ブランド『豊岡鞄』の認定。豊岡品質を掲げたブランド展開を始める
2010(平成22)年
商標『豊岡鞄』が特許庁長官表彰【知財功労賞】受賞
日本全国の百貨店等で豊岡鞄フェア開催
2011(平成23)年
関西ポテンシャルマップ2011に植村賢仁(3代目)がデザイナーと製作した豊岡の伝統工芸品の柳行李と革のコラボアタッシュ『豊岡model』が選定される

代々愛用される鞄

柳行李を孫に受け継ぐ

千年昔から昭和まで親しみの深かった柳行李(やなぎこうり)。マスミにはお手紙付きで修理の依頼が舞い込んでくる。

二代目夫妻が修理を手がけました。次の20年、30年先の修理も考えて手を加えます。

70代の方から「父の形見の行李をどうしても直していただけないか」と送られてきた行李は、柳も傷み糸も切れ劣化が激しかった。

柳行李の部品を丁寧に外し、使えるパーツはなるべく活かすように大修復を行なった。劣化の激しい柳の補強は革を粋にあしらったデザインでカバー。汚れた柳も洗浄し、すっかり美しく復元された。復元・修理力も古い素材と向き合ってきた職人だからこそ。

ご依頼品は形見を価値ある物としてお孫さんに受け継いでほしかったから修理をしてくれる会社を懸命に探したとのことで、大変喜んでいただけた。次世代にひとつ【日本の文化】を引き継げた気持ちになった。

ワールドホッパー鍵は、国内の国家機関や一流ホテルのドア錠・金物建具を製作しているメーカー製。丈夫で簡単には開かない鍵で知られています。二代目が作った鞄を、三代目が修理しました。

誇れる鞄: 父の生き方が見える

1970年代に二代目が作ったワールドホッパー式鞄が修理に戻ってきた。鞄は使ってきた人の人生を物語る。どうやらこの半世紀、持ち主の良きビジネスパートナーとしてあちこち旅をしてきたようだ。革の傷も時代を駆け抜けた勲章である。

依頼してきたのは持ち主の息子さんだ。
「父から譲り受けたので修理をお願いしたい」。
ここからまた数十年新しい主人のパートナーとして役目を果たせるように鞄を労うように私たちは修復する。修理しながら人の生き様が見える。鞄の噛み合わせも鍵部分も健在だ。大切にしてもらったことが伝わる。
【父の鞄】をこれから自分が使うというその声は、誇らしげでもあった。こういうドラマを感じられるのも、鞄職人冥利に尽きる。

歌舞伎ケース: 職人からの依頼

特殊ケースを得意とするマスミには実に様々な職業の方からご依頼がくる。
職人にとっては、ケースの中に入れる【仕事道具】は魂のこもった物であったり、肌身離さず大事にしている物であったりする。そんな職人からも、絶賛してもらっているのはやはり耐久性。

これはOEM依頼で昭和50年代頃製作したケース。持ち主は歌舞伎役者の人間国宝の方。丁寧にお使い頂いているようで、30年経った今も現役で役立っているのが嬉しいかぎり。

豊岡鞄産地

豊岡×鞄

兵庫県豊岡市は、千年を越える伝統をもつ鞄の産地です。西暦27年から杞柳(きりゅう)細工の物語は始まり、奈良時代には豊岡で作られた「柳筥(やなぎかご)」が正倉院に上納されています。

15世紀の豊岡では「九日市場(ここのかいちば)」が開かれ柳行李(やなぎこうり)が盛んに売買され、その後江戸時代・明治・大正・昭和と各時代で人々の生活に溶け込んで柳製品は愛用されてきました。

明治14年頃(1881年)第2回内国勧業博覧会に3本革バンド締めの「行李鞄」を出品したことが鞄産業の始まりと伝えられています。
大正時代以降、全国に柳行李で知られていた流通経路を基盤に、新素材への挑戦とミシン縫製技術の導入により日本有数の鞄の産地となりました。

自然に囲まれた豊岡の風景